「西荻窪の空と、僕と私たちの世界」第3号

2013年9月某日

(田中から山﨑先生へ)

 山﨑先生、今日は「宇宙におけるコミュニケーション」の話をしましょう。

 NASAの探査機ボイジャー1号、地球出発から35年、人工物として初めて太陽系を脱出——先週の金曜日に各紙一面で報じられたニュースです。去年の8月末にはすでに太陽系の外に出ていたというこのロケットに、一枚のレコードが積まれているのをご存知ですか? 「ゴールデン・レコード」と呼ばれるこのディスクには、万が一、異星人がこの探査機を発見した場合に備えて、地球上の諸言語による簡単な挨拶が収録されているのですが、それだけでなく、バッハの平均律クラヴィーアなどを含む、世界中の音楽が刻まれているのです。ボイジャーは、いったい何のためにそんなものを運んでいるのでしょうか。「言葉はきっとわからないだろうから、音楽も入れとけばノリくらいは通じるか」というような発想でしょうか。いいえ、音楽をレコードに刻んだのにはもっと深い理由があるのです。

 このレコードにバッハを収録することを提案したのは、当時NASAに勤めていた日本人の物理学者、佐治晴夫さんです。彼は、バッハの音楽がきわめて数学的に構成されていることを踏まえ、「別の星の生命と会話するなら、純粋な論理の形式である数学しかない。音楽で地球の生命を伝えるにはバッハが良い」と考えました。もし、数学の論理性だけが重要なら、初めから数式を使った挨拶でも考えればいい。しかし、佐治さんは、「(バッハの音楽は)生命の呼吸のようで、宇宙の風の音のようでもあった」とも言います。つまり、やや抽象化すれば、《絶望的にコミュニケーションが困難な相手(異星人)に対して、何とか両者の「橋渡し」となるような手段(数学的論理性)を見出し、それを通じて我々の「生命の呼吸」を伝達すること》こそ、佐治さんがNASAに提示したアイディアの核だと言えるのではないでしょうか。

 普通我々はコミュニケーションにおいて、伝達するメッセージの内容だけ考えれば事足ります。メッセージの乗り物である言語(日本語)を、相手と共有しているからです。でも、僕はときどき疑問に思うのです。同一の言語を共有しているというだけで、ほんとうに同じプラットフォームに立っていると言えるのだろうか。言語とはそんなに強固な共通基盤たりえるのだろうか、と。どんな角度からでも結構です、山﨑先生のレスポンス、お待ちしております。

*佐治晴夫さんの言葉は2013年9月13日の朝日新聞朝刊から引用しました。