「西荻窪の空と、僕と私たちの世界」第6号

2013年10月某日

(山﨑から田中先生へ)

 田中先生、前回は失礼いたしました。田中先生の力と愛のこもった文章を、山﨑の脱力しきった駄文が台無しにしていないことを祈ります。

 さて、今回は「別れ」について書くということになっていましたね。

 なぜ、そんなことを書こうと思ったのか。それは、僕を支える関係性のうち、とりわけ重要ないくつかの関係性において「別れ」というものがありありと予見されているからだと思います。それが、前回、「書けない病」に苦しんでいる最中に、なんとなく「別れ」について書こうと思ったことの背景にあるのだろうと。もっと踏み込んで言えば、僕は「別れ」を前にして、ただ立ち尽くすのではなく、言葉を紡ぎだすことによって「別れ」に積極的な意味を持たせ、その「別れ」を受け入れられるものにしようとしているのでしょうね。

 実をいうと、この往復書簡第6号は、先週の木曜日に印刷され配布されるはずのものでした。しかし、実際は配布されることはなかった。印刷すらされなかった。「いったいなぜ?」という疑問はさておき、今回は、いったん出来上がったものを大幅に修正しております。田中先生、ごめんなさい。

 印刷されるはずのものに、僕はこんなことを書きました。

「別れ」というのは関係性の消滅を指すものではありません。「別れ」とは<今>に縛られた関係性を過去や未来へ解放する試みであり、「赦し」のことです。

 ほー。なんとも分かりにくいことを書いたものです。「別れ」とは「赦し」である、とは一体どういうことなのでしょうか。修正前のものを読んで見ましたが、お世辞にも分かりやすい説明とはいえませんでした(お蔵入りしたのはそういう事情もあります)。あのときの僕が何を書こうとしていたかはいったん脇に置いて、もう一度、僕が思うところを書いてみようと思います。ただ、それは次回のはなし。みなさんはそれまで、山﨑が言わんとすることを妄想してみてください。

 雨が降っています。肌寒くなってきました。僕のiPhone5は16℃だと言っています。田中戦士(タイプミスだけど、カッコいいからよし!)、みなさん、風邪をひきませんように。 以上、雨に降られながら模試に行った諸君は無事だろうか、と思いつつ、いつものカフェでパソコンパチパチしている山﨑でした。これから過去問解いてマッサージに行ってきます。