海外文学を読もうⅠ

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担当講師:田中国光

開講期間:1学期 1/19(日)~ 3/28(土)

カリキュラム(予定)
第1回  オリエンテーション
第2回  ポール・オースター『ガラスの街』
第3回  カート・ヴォネガット『スローターハウス5』
第4回  アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは……』
第5回  ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』

内容
興味はあるのに「海外文学」をあまり読んだことがない。そういう人のための講座です。 好きな作家や作品が見つかるかもしれませんが、作家や作品についての知識を身につけるためガイドのようなものではなく、あなたが「なにを読んだのか」を受講生のみなさんと一緒に考えていきます。

担当講師から
 こんにちは。このたび、「海外文学を読もうⅠ」の「担任」を務めます、田中国光です。簡単に自己紹介から。2013年に『丸ノ内線とエピテンカリプス』で群像新人文学賞を受賞、その後、『再現の夏』『その家の鼓動』などを発表し、おととし『アナ・バーデンとシベリア、1947』で芥川賞を受賞した現役の作家兼シナリオライターです。ウソです。英語関係の仕事をいろいろやっているしがないフリーランサーです。(『アナ・バーデンとシベリア、1947』、とっさにでっちあげたタイトルとしては悪くないですね。)
 さて、この講座では、ポール・オースター『ガラスの街』(新潮文庫)、カート・ヴォネガット(・ジュニア)『スローターハウス5』(ハヤカワ文庫)、アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは……』(白水Uブックス)、ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』(新潮文庫)の4冊を取り上げます。『スローターハウス5』『供述によるとペレイラは……』『予告された殺人の記録』、この3冊については、20世紀文学を代表する作家たちの代表作の一つと申し上げて間違いないでしょう。当初、せっかく「講座」として取り上げるのだからもう少し分かりにくいものを取り上げようと思いもしたのですが、結局、抜群に面白いものを扱うことにしました。ポール・オースター? 私の趣味です。
 さっそくですが、この全5回の講座を通してお伝えしたいことを申し上げます。それは、文学作品を読むときに、「この小説のテーマは何だろう」「作者は何を主張しているのか」「これを読んだ私は何を考えるべきか」といった疑問を抱いてほしい、のではなく、というかその前に、その疑問の水準を一段ずらして、「これは、何だ?」と考えてみてほしい、ということです。これは、なにかととっつきにくいイメージのある海外文学作品を最後まで読み通すための実践的な戦略としてご提案するものです。
 皆さんの中には、「なぜか海外文学は(興味がないわけではないのに)途中で挫折してしまいがち」という人も多いのではないでしょうか。その原因はおそらく、自分は「小説」(という自分がよく知っているはずのもの)を読んでいるはずなのに、いま自分が何を読んでいるのかよく分からないという違和感、あるいは感覚の齟齬にあるのではないかというのが私の考えです。
 少し話をずらして「絵画」について考えてみます。私は昨年の暮れに2つの美術館を訪れる機会を得ました。一つは「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」。もしこの美術館の名前を聞いたことがなかったとしても、ここに収蔵されているファン・ゴッホの「ひまわり」を見たことがないという人は少ないはずです。もう一つはアメリカ・ニューヨーク州にある「オルブライト=ノックス美術館」。ある仕事の取材のために、ここに常設展示されているジャクソン・ポロックの「収斂」という絵を見に行きました。抽象画は人によって好き嫌いが大きく分かれますので、ご存じのない方も多いかもしれません。ぜひ「ジャクソン・ポロック 収斂」で画像検索をしてみてください。さて、ファン・ゴッホの「ひまわり」の前に立つとき、私は何の疑いもなく「絵を見ている」ことを前提にできます。ゴッホ特有の分厚い筆のタッチを観察したり、狂気を感じさせる黄色のまぶしさを間近で感じたりして鑑賞を楽しむことができます。しかし、ジャクソン・ポロックの「収斂」を前にするとき、同じ前提は通用しません。ゴッホとポロックはどちらも「画家」としてカテゴライズされていますが、ポロックはこの作品でそもそも「描く」ということすらしていません。pouringやdrippingといった技法を使っているからです。私がポロックの作品を前にしてまず思ったのは、「これは、何だ?」ということでした。
 文学では、仮にゴッホとポロックくらい作風が違う場合でも、文字だけで構成されているという共通した外見によって違いが見えにくくなっています。しかも翻訳作品に限って言えば、本来は異なる言語で書かれている(それほど大きな違いがある)にもかかわらず、日本語で書かれている分、「ふつうに読めるはずなのになぜかよく分からない」という感覚に陥りがちです。実はここにこそ文学、とりわけ翻訳文学を読む喜びがあるというのが私の考えで、この「講座」では、ひとまずこれについて考えることが目的の一つということになります。
 もう一つ、この講座を通じて皆さんと一緒に考えてみたいのは「フィクション(の効用)」というものについてです。もし、この文章の前段の「ゴッホ/ポロック」の話を多少なりとも「なるほど」と思って読んでくださったのなら、あなたもすでにフィクションの効用と無縁ではありません。なぜなら私は損保ジャパン日本興亜美術館にもオルブライト=ノックス美術館にも行ったことがないからです。美術関係の仕事に携わったこともないので、取材も当然行っていません。つまり、ウソの話をしたわけです。「なぜこいつは息を吐くようにウソをつくのか」と呆れる前に考えていただきたいのは、私がウソをついたことによって、はたして前段でお話ししたことがすべて虚偽ということになるのか(もちろんならない)、ということです。
 すべての小説はフィクションです。なぜわれわれはウソの話を、現実にはない話を、わざわざ好きこのんで読むのでしょうか。これが、この講座の第二のテーマです。
 すっかり前置きが長くなってしまいました。あとは音声の方で実際の講座をお楽しみください。

◆課題図書
ポール・オースター『ガラスの街』(新潮文庫)
カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』(ハヤカワ文庫)
アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは……』(白水Uブックス)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』(新潮文庫)